河合妙子プロフィール

東京で西洋哲学を
台北でジャーナリズムを専攻後、
写真と文章の世界に身を置く生活に。
バブル全盛期の大学時代、
春・夏の休暇ごとにニューヨークやヨーロッパ旅行をする級友たちを横目に
「10代、20代はアジアに没頭するわ!ヨーロッパなんて30過ぎてからでいいのよっ!」
と決断。そして、なぜかその通りの人生を歩むことに。

大学を卒業直後、台北で中国語を覚え、
舞台通訳、日本語教師、貿易会社OLなどをしながら、
花から花へ飛び移る蝶のように屋台を渡り歩いたのは20代前半。
東京に戻ってOL生活をしつつ、インドやヨーロッパに開眼しはじめたのは20代後半。
西荻窪の昭和初期の家を借りていたので、
パリのアパルトマン気分で生活を楽しみました。
吉祥寺で陶芸も始めました。この頃です。ちょろりちゃんに会ったのは!

生活は心から堪能していたものの、
職場では、上司によるセクハラやパワハラにうんざり。
「40過ぎてもここで仕事をしている自分の姿は想像できない!」と
ジャーナリズムのメッカ、台北の国立政治大学新聞研究所に願書を出して、
34歳からの大学院留学となり、ここでジャーナリズム理論の洗礼をたっぷり受けました!
どの授業も本当に面白く、毎日明け方までレポート書く生活でも疲れませんでした。
先生は皆、欧米帰りの、個性溢れる先鋭ばかり。
現台湾大統領である馬英九氏の親友で、選挙ストラテジーを担当されていた先生もいらっしゃいました。私はその先生に民意を習いましたが、満州族の末裔という、頭が切れて大変ハンサムなその先生の授業では、毎回ウットリしていましたっけ。

パリへ渡ったのは30代半ば。
中国語と英語だけ話せればそれで十分だと思っていたけれど、フランス語がわからなければ、
スーパーで卵ひとつ買えない日々に、できれば避けて通りたかったフランス語の勉強を決意。
独学で文法を一通り覚え、移民にフランス語を教える市の無料教室などに通い、フランス語と格闘する日々が始まりました。でも、新しい発見が毎日あって、飽きることなどなかったです。

パリ生活も順調に過ぎ、わたしも自分の論文の資料やインタビューが揃った頃のこと、
「ここは物価が高すぎる!人々がヒステリー過ぎる!仕事しながら博論書けないよ!
天気が良くて、物価が安くて、人々がのんびりしているスペインに行くんだ!」
こうしてオットセイがとうとうスペインに行きたいと言いだし、不承不承、付いて行くことに。
同じラテン語とはいえ、単語も発音も異なるスペイン語を、また1から覚える羽目になりました。
この頃です。あるネットの掲示板でhisako-baabaに出会ったのは。

不思議な縁でいろいろなプロジェクトが始まり、
日本と離れているのにもかかわらず、仕事も途切れず入るようになり、
今日に至っているというわけです。
気が付けば、「20代でアジア、30代でヨーロッパ」と宣言した若かりし日の初志が貫徹しているかのような人生。
本当は、日々闘いの連続で、涙が出ちゃうこともたっくさ~んあるんですけど、
自分で選んだ生き方ですから、最後まで堂々と行きぬかなくっちゃいけませんね。
よっしゃ、がんばるぞお~~~♪

【メール】 tae.k.193_@gmail.com (アンダーバーを消してからメールを送信願います)

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by hamster_paso | 2004-10-01 00:00 | プロフィール Profile