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「テロ」と「ゲリラ」:実体のない「テロ」定義

テロリズム報道に関する修士論文をだいぶ時間をかけて書いたせいで、テロリズムに関する研究資料をかなり読んだ。どんな論文も、語彙の定義は必ずする。テロリズムに関する論文であれば、テロとゲリラの定義をきちんとするのがしきたりだ。

「テロ」とは、「恐怖主義」のカタカナ英語である。
一方「ゲリラ」は、「戦士」「遊撃隊」のカタカナ英語だ。

文字通り、テロとは恐れさせると言う意味がある。一方で、ゲリラの源流はguerre(戦争)である。フランス語でもスペイン語でも、la guerre en Irak とイラク戦争を呼ぶ。彼ら英語やラテン語源の言葉を使う国の人々は、この二つの違いを理解している。

中国語では、テロを「恐怖主義」、ゲリラを「遊撃隊」と漢字で書く。だから今問題なのは「恐怖主義」であり「遊撃隊」ではないとよく理解してる。

「恐怖主義」と「遊撃隊」の違いは政治的立場の違いなので、発言は慎重にならざるを得ず、三国志という古典的名作によって政治の世界を肌で知り尽くしている国の民は、迂闊な発言や行動はしない。日本に向けて発言したり行動したりするのは、「迂闊」などではなく政治的に「効果的」であることを理解してるからだと思う。中国人社会での三国志の浸透の仕方は、日本での源氏物語や赤穂浪士を越えている。むしろ、サザエさんに近いのではないか。それだけ庶民に親しまれていると言う意味で。

アラビア語については知らないが、アラビア語が英語から拝借し、「テロ」、「ゲリラ」という外来語で呼んでいるとは想像しがたい。「ジハード」は「聖戦」としてすでに日本の外来語にもなったが、「テロ」、「ゲリラ」にも該当する言葉を使っているはずだ。

つまり。
「テロ」問題を、自国の言葉で考えない国は、またしても日本なのであった。
日本には公用語などないので、もちろんフィリピンやインドの例は当てはまらない。

日本語において、「テロ」はなんだか実体がないように思う。
赤軍派がテロ組織、オウム真理教がテロ組織、と海外では認識されているというのを、自分の中で滞りなく理解するのにかなり時間がかかった。
宮沢賢治は詩の中で「テロル」という言葉を使った。伊藤博文を暗殺した安重根のことを詠ったのだ。感慨深げに。
幸徳秋水は、懐に安重根の写真を入れていたという。お守りのように。
テロリスト安重根は処刑されたが、韓国では郵便切手のなかにいる。

小泉さんが指す「テロ」って、何だ? 

世界のほかの国々が、「テロ問題」を論議し、対応を決断したのは、言葉の定義が‘きちんと’していたからだと思う。‘きちんと’したというよりは、自国の言語なので、一目見て定義がわかるわけだった。戦うにしろ戦わないにしろ、政府は政治的立場を選択し、国民はそれに対して直ちに反応できた。賛成か、デモか。

日本では、「テロ」ということばそのものにあまりに実体がないので、国民も何をどう受け取ったらいいのかわからない、というところがないだろうか。そのためか、イラクへの「ボランティア」についても、いまだに「コンセンサス」が得られていないという気がする。

こんな時期にイラクに行った香田さんも、ある意味、日本の実体のない「テロ」定義の被害者かもしれない。
フランスのニュースでは「日本人バックパッカー(routard)」と紹介されていた。
戦地を見に行くバックパッカー。なんだか、すごく日本っぽいと思った。
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by hamster_paso | 2004-10-31 03:45 | 日本の問題 Japon

扉と窓

散歩道には、こんな扉や窓があります。

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by hamster_paso | 2004-10-29 23:48 | foto スペイン Spain

影ぼうし

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トレドの街の半分は、影でできている。この夏にそれがわかった。

・・・・・・白墨で書かれた黒板の上のメニューには、ガスパッチョも、ある。
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by hamster_paso | 2004-10-28 03:08 | foto スペイン Spain

千年の石畳

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トレドは、古代ローマの時代から続く街だ。
ロバも馬車も、車に取って代わったけれど、人が歩き続けていることは変わらない。

 
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by hamster_paso | 2004-10-27 22:36 | foto スペイン Spain

ブラジル映画『シティ・オブ・ゴッド』、なぜ英語のタイトル?

日本のタイトルを『シティ・オブ・ゴッド』というブラジル映画は原題を、
『 シダデ・デ・デウス:Cidade de Deus』という。
映画は「神の街」という祝福された名を持つスラムでの恐ろしい話であり、
「神の街」は固有名詞だ。固有名詞だから、訳しようがないはずだ。


固有名詞でも、できるだけ言語に忠実に訳そうとする国では、それを自国の言語で訳す。
スペイン語では『Ciudad de Deus』、フランス語では、『La Cite de Dieu』。
英語では『The City of God』。
ドイツ語・イタリア語では、ブラジルの原題をそのまま使っていたようだ。
(世界のyahoo!調べ)

原題の忠実な訳ではないけれど、台湾では、『無法無天』というステキな題がついていた。
韓国語では、個人のブログに『하나님의 도성(City of GOD)』と題がついていた。
映画のことではなさそうだけれど(プロテスタントも多い国だし宗教サイトかもしれないが)
わたしのつたないハングル語知識でも、それが英語の音を綴っていないことはわかる。

それにもかかわらず、日本では、英語の題名を採用している。
英語の題は、ポルトガル語から訳した二次的なものだ。
二次的な題を、さらに三次的に、日本語のカタカナで表すのは、なぜだろう?
そうやって付けられた題名を、カタカナ英語で口にするのは、わたしは恥ずかしい。
英語に屈しているみたいで、我慢ならない。

映画の題名を決める配給会社か、関連会社の担当者は、もしかして、
「自分はイヤだけど、今の日本人は英語のタイトルが好きかもしれない」とか何とか、
自分の本音を押し殺し、他人の喜びそうな題名を決めているのかもしれない。
あるいは、『Cidade de Deus』なんてポルトガル語、日本人にはわかりっこないから、
っていう親切心が働いたのだろうか?
それとも、原題は「デ・デ・デ」ってデが3つも続くからかっこ悪いとでも考えたのかい。

いずれにしても、カタカナ英語の邦題だなんて、バカにしてるよな。傑作映画なのに。

映画の邦題は映画の雰囲気を醸し出す大切な部分なのだから、もっと慎重に、
作品を尊重する態度で付けてもらいたいと思う。
あるいは、今の日本人が本当に、心の底からカタカナ英語のタイトルを望んでも、
映画会社はそんな軽佻浮薄な世相に喝を入れるべく、美しい邦題を考えてほしい。

些細なことなのかもしれないけれど、そういう足元の一歩一歩から、
社会が成熟したり、崩れたりしていくのだという感じがしてならない。

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『 シダデ・デ・デウス:Cidade de Deus』↓日本でのプロモーション用ホームページ

http://www.cityofgod.jp/
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by hamster_paso | 2004-10-25 07:54 | 日本の問題 Japon

洗い場の世界

     
食器のしずくが、たまらなくきれいだったので。
洗い場の棚にも世界がある! ということも、嬉しかったのです。

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by hamster_paso | 2004-10-25 02:27 | foto スペイン Spain

ミャンマーの政変と民主化について思うこと

最近、ミャンマーでも軍事政変があり、民主化を押していた首相が辞めさせられ、
「スーチーさんの民主化運動が一歩後退した」と新聞などは書いていたようですが、
なんだか、これ、眉唾情報のような気がします。

ミャンマーには、豊かなヒスイ鉱山があり、
大事なこの外貨獲得手段を「軍隊」が守っているという話を聞いたことがあるからです。
ヒスイをめぐる話については、かつてわたしが台湾に住んでいたとき、
あるミャンマーの女性がそう話してくれました。
彼女の一家も親戚も鉱山で働いているそうです。

でも、わたしの読んだ新聞情報には、そういうことは書いてありません。

そういえば、台湾に行くと、宝石店にも空港にもかならずあるのが、翡翠のコーナー。
質屋に行っても、ガラスケースには翡翠の腕輪がずらり。
ほとんどが、ミャンマー産です。
アジアの翡翠ビジネスは、まだ日本では日の目が当てられていないけれど、
探り出したら翡翠と政治がどのように動いているか、うじゃうじゃ情報がでるはず。

台湾で訪ねたある宝石店の社長は、ミャンマーに翡翠を買い付けに行くときは、
軍人に挟まれて鉱山を訪れ、鉱山付近のマーケットで品定めをしたと、言っていました。
想像するに、かなり、命がけ。
それにしても、台湾商人が落とす金額は、莫大なものに違いありません。

民主化の後、米欧が入ってくると、鉱山が米欧人の手に渡り、国内がめちゃくちゃになる。
たぶん、ミャンマーの軍部はそれを恐れているのでは、と推測します。
そうなると、新たな奴隷に成り下がるだけですから。

華僑が経済を牛耳っていると批判することもできるけれど、
アヘン戦争でアジアに冷酷な仕打ちをしたイギリスよりも、
なじみの中国人に巻かれて自分たちの領分を守ったほうが得策なのかもしれない。
だから軍部は、米欧が入り込む理由になる「民主化」を許したくないのかもしれない。
わたしはそう考えてみています。
そもそも、パゴタの点在する美しい農村に、海外からの工場やマクドナルドなんか
建ってほしくなんかないぞ。

民主化を進めていた首相の手に、米欧からカネが渡っていたとも限りません。
報道されていないだけで。想像の領域ではあるけれど。
クーデターが起こるくらいですから、黒い話があってもおかしくありません。

みなさまもご存知かもしれませんが、スーチーさんはミャンマーで評判がよろしくなく、
欧米の手先だと見なす人もいるそうです。
彼女のノーベル平和賞も、国際世論を動かそうとする米欧の試みかもしれない、と
考えることもできるかもしれません・・・・?
ミャンマー民主化反対の意見を聞くと、そういうこともありうる、と思います。

これまでミャンマー人に会うたびに、
「スーチーさん!すごく有名よ!!」っていい意味で話しかけていたけれど、
「そう???」って彼らが醒めた反応をするのに気づき、
「スーチーさん、どう思う?」と聞いたら、
「好きじゃない」とはっきり言う人もいました。

日本の新聞が伝えるイメージとかなりかけ離れていて、ものすごく、意外でした。


極東ブログにも、ミャンマーの政変についての詳しい解説がありました。
わたしも、仕事を離れて自由に書けたので、ちょっとすっきりしました。
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by hamster_paso | 2004-10-24 21:56 | 超わかり易い国際政治política

パゾを手のひらに乗せるとき

初めて出合ったとき、パゾはすでに8ヶ月だった。
熊に似ているなあ、と思っていたら、
その名もテディベア・ハムスターであると調べて知った。
両肩とお尻に、銀色の羽が生えている。

2年くらいしか生きられないらしいハムスター。
パゾがうちに来てから、すでに1周年。
あと、どのくらい一緒にいられるのだろう。

ここでは、パゾと暮らすなかで撮り歩いたスペイン・トレドの写真と
仕事の中で拾った話を書いていきたいと思っている。

わたしの仕事は、時事問題を訳して解説を書いたり、
スペイン・リーガのレポートを作成したり。
これがまた、お金にならなくて。
こんなに勉強してきて、こんな歳になって

「人生はせつないなあ」

ってパゾを手のひらにのせたりする。

いつか成功することを夢見ながらも、
なんでこんなところでこんなことをしているんだろう
とふと悩んでしまう人がいたら、
ぜひ読んでいただきたいなあ、って思います。

どうぞ、よろしく!


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by hamster_paso | 2004-10-24 21:02 | 生活のこと mi vida

河合妙子プロフィール

東京で西洋哲学を
台北でジャーナリズムを専攻後、
写真と文章の世界に身を置く生活に。
バブル全盛期の大学時代、
春・夏の休暇ごとにニューヨークやヨーロッパ旅行をする級友たちを横目に
「10代、20代はアジアに没頭するわ!ヨーロッパなんて30過ぎてからでいいのよっ!」
と決断。そして、なぜかその通りの人生を歩むことに。

大学を卒業直後、台北で中国語を覚え、
舞台通訳、日本語教師、貿易会社OLなどをしながら、
花から花へ飛び移る蝶のように屋台を渡り歩いたのは20代前半。
東京に戻ってOL生活をしつつ、インドやヨーロッパに開眼しはじめたのは20代後半。
西荻窪の昭和初期の家を借りていたので、
パリのアパルトマン気分で生活を楽しみました。
吉祥寺で陶芸も始めました。この頃です。ちょろりちゃんに会ったのは!

生活は心から堪能していたものの、
職場では、上司によるセクハラやパワハラにうんざり。
「40過ぎてもここで仕事をしている自分の姿は想像できない!」と
ジャーナリズムのメッカ、台北の国立政治大学新聞研究所に願書を出して、
34歳からの大学院留学となり、ここでジャーナリズム理論の洗礼をたっぷり受けました!
どの授業も本当に面白く、毎日明け方までレポート書く生活でも疲れませんでした。
先生は皆、欧米帰りの、個性溢れる先鋭ばかり。
現台湾大統領である馬英九氏の親友で、選挙ストラテジーを担当されていた先生もいらっしゃいました。私はその先生に民意を習いましたが、満州族の末裔という、頭が切れて大変ハンサムなその先生の授業では、毎回ウットリしていましたっけ。

パリへ渡ったのは30代半ば。
中国語と英語だけ話せればそれで十分だと思っていたけれど、フランス語がわからなければ、
スーパーで卵ひとつ買えない日々に、できれば避けて通りたかったフランス語の勉強を決意。
独学で文法を一通り覚え、移民にフランス語を教える市の無料教室などに通い、フランス語と格闘する日々が始まりました。でも、新しい発見が毎日あって、飽きることなどなかったです。

パリ生活も順調に過ぎ、わたしも自分の論文の資料やインタビューが揃った頃のこと、
「ここは物価が高すぎる!人々がヒステリー過ぎる!仕事しながら博論書けないよ!
天気が良くて、物価が安くて、人々がのんびりしているスペインに行くんだ!」
こうしてオットセイがとうとうスペインに行きたいと言いだし、不承不承、付いて行くことに。
同じラテン語とはいえ、単語も発音も異なるスペイン語を、また1から覚える羽目になりました。
この頃です。あるネットの掲示板でhisako-baabaに出会ったのは。

不思議な縁でいろいろなプロジェクトが始まり、
日本と離れているのにもかかわらず、仕事も途切れず入るようになり、
今日に至っているというわけです。
気が付けば、「20代でアジア、30代でヨーロッパ」と宣言した若かりし日の初志が貫徹しているかのような人生。
本当は、日々闘いの連続で、涙が出ちゃうこともたっくさ~んあるんですけど、
自分で選んだ生き方ですから、最後まで堂々と行きぬかなくっちゃいけませんね。
よっしゃ、がんばるぞお~~~♪

【メール】 tae.k.193_@gmail.com (アンダーバーを消してからメールを送信願います)

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by hamster_paso | 2004-10-01 00:00 | プロフィール Profile