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南京大虐殺を、別の視点で検討してみよう!

南京大虐殺は、本当にあったのか?
もし、本当にあったなら、何万人なのか、何十万人なのか――。

南京大虐殺と聞くと、よくメディアで目や耳にするそのような議論ばかりが浮かぶ。ところが、中谷孝さんという、日中戦争時代に南京周辺で特務機関員として働いていた方の手記インタビュー記事を読むと、別の側面があるということに、気づかされる。

中谷さんの手記は、戦前、18歳のとき、南京の郊外で、はらっぱに点在する土饅頭を自転車で走り回るところからはじまる。中谷さんは、東京で、中国にある日本の貿易会社に就職したため、雇われた貿易会社に赴任する途中で、南京に立ち寄ったのだ。いくつもある小さな土の山のなだらかな斜面を自転車で登ったり降りたりするのは、さぞ気持ちがよかっただろう。わたしもこの感覚は好きだ。

が、中谷さんは、たちまち野犬の群れに囲まれてしまう。この土饅頭には、死体が埋められており、野犬はその匂いにつられて集まっていたのだ。

このときの南京は、上海や他の土地に比べ、異様に陰鬱で、寂れており、店も非常に少なかったそうだ。そしてすれ違う中国人は皆、日本人におびえていたという。中谷さんは、住民がほぼ皆殺しにされた1年2ヶ月後に、南京を訪れていたのだ。「しかし」というべきか「もちろん」というべきか、中谷さんは、日本軍がその虐殺を行ったということについては、新聞やラジオからも、他の人からも、聞いていなかった。

その後赴任した、南京からさらに離れた土地にある日本の貿易会社の支店で、中谷さんは、度々日本人が現地人に鞭を振るったり罵倒したりする姿を目撃した。そんなやり方に嫌気が差した中谷さんは、その頃すでにたまたま近所にあった日本の特務機関の事務所の人と仲良くなっていたので、その人に会うたび、愚痴をこぼした。そうしたら、「君は、なかなか見込みがあるな。特務機関で働かないか」とスカウトされ、特務機関員、つまり、スパイとしての仕事が始まったのだった。

中国の特務機関で7年も働くことになった中谷さんは、当然、仕事のおりおりに様々な日本兵や中国兵に会った。日本兵の中には、いわゆる“南京大虐殺”に関わった人もいて、いろいろな話を聞いたそうだ。中谷さんは、その体験から、この“南京大虐殺”について、現代の世間一般でいわれていることや教科書に書かれていること以外の視点を、提供してくれる。そんな視点の数々を、下に列記してみた。

<視点・その1>……城壁
南京は城壁に囲まれた場所だという。実はちょうど、私の住むトレド旧市街地が、城壁に囲まれている。大型スーパーやマドリードに行ったり、家に帰ったりするためには、城壁にできている「門」をくぐらなければならない。この「門」が封鎖されたら、わたしはどこにもいけなくなってしまう。つまり、城壁の内側に住んだ場合、敵に一旦包囲されたら、逃げ道はなくなってしまうのだ。究極的には、城壁の内側は、密室と同じことなのだ。だから、南京の悲劇は、城壁という密室ゆえに起きた、ということがいえるかもしれない。

戦争でもゲームでも狩猟でも、相手を倒す簡単な方法は、逃げ道をふさぐこと、あるいは袋小路に追い詰めるということだろう。タスマニアのアボリジニも同じ方法で全滅したと、聞いたことがある。島の周囲をイギリス軍が囲い、アボリジニをだんだん内部に追い詰め、焼いたり銃を放ったりで、一人残らず殺してしまったらしい。俯瞰からみれば、輪がだんだん内側に小さくなっていくような感じだろう。

<視点・その2>……捕虜の食料などない状況
城壁を包囲されてしまった住民は、捕虜として捕まる。ところが、敵兵が、捕虜になった住民が充分に暮らしていける一生分の食糧や生活費を確保しているということは、ありえない。解決の方法としては、彼らを説得して男を自国軍の兵士にし、女は慰めものにしたり、料理を作らせたり……(あ、これは植民地の発想か)。しかしそんなことが実現するまでには、時間もかかるし、抵抗も激しいだろう。その上、一つの村や町で植民地のようなことをしたって、住民はどこかで寝返るかもしれないし、現実的ではない。だから、大量の捕虜が出たら、殺すことが手っ取り早い解決方法になるのかもしれない。

<視点・その3>……捕虜収容所がなかった
ジャーナリストの浅井久仁臣さんのブログによると、“南京大虐殺”は捕虜収容所がなかったことが、大虐殺につながったそうだ。“収容所”と聞くと、キューバのグアンタナモやらイラクのアブグレイブが浮かぶ。今は国際法があって、世界中の監視も厳しいから、大虐殺は起きにくいのだろう。昨日、ちょうど、グアンタナモで行われている虐待の記事を、背筋が寒くなる思いをしながら訳したところだ。が、こういう刑務所を作るということは、収容されている人にも、悪魔のような看守にも、食糧を提供しなければならないわけで。裕福な国にしかできないことかもしれない……?
(*捕虜と捕虜収容所については、浅井さんのブログと、コメント欄に、詳しい説明がありますので、ぜひ、そちらを参考にしてください)

そういえば、スティーブ・マックィーンの映画「パピヨン」もまた、フランスの収容所の話だ。実話だそうだ。映画を見ながら、「あんな収容所を、あんな離れた土地に作るなんて、維持費だけでも大変だろうに」と思ったことを、今思い出した。

<視点・その4>……門を閉めていたので、外部からカメラマンなど入りこめない状況
南京では、城壁内で捕虜になった住民の処理は、日本軍が着いてから、ただちに行われたらしい。日本軍が来たことによる抵抗や混乱は激しかっただろうし、中国軍が来る前に陥落させたいと考えたのは当然だろうから、速やかに始末しなければならなかったのだ。城壁は日本軍が閉めていただろうから、外部から人が入ることはなかったはずだ。

なので当然、それを撮影したカメラマンもいるわけが無ければ、それを収めたビデオも存在などするわけがない。また当然、南京大虐殺という名称もこのときにはまだなかったわけだ。中谷さんは、現代になって、メディアなどに発表された「南京大虐殺の写真」、特に、いろいろなところで発表された“虐殺数日後に兵士がギョーザを食べている写真”に、深い疑問の目を投げかけている。そもそも、ギョーザは北方中国の食べ物で、南京では売られていなかったという。

南京の城壁内にカメラを持った外国人記者が住んでいた可能性もあるが。でも、写真なんか撮っていたら、「邪魔だ」、「何をする!」と兵士に殺されていた可能性も高い。なにしろ、密室で起きた事件。真実もまた、密閉されてしまったかもしれない。

こう考えると、「写真」という証拠が提出され、いかにもなキャプションが付いていたところで、わたしたち読者は、つねにマユに唾して見なければならないということだろう。

<視点・その5>……南京の人口
よく、南京大虐殺で殺された人数が、中国と日本では違うとか、中国は何でも大げさに言いたがるから、ゼロが一つ違う、とか、いろんな言われ方があるけれど、城壁内の住民がほぼ皆殺しされたというならば、城壁内の人口を調べれば、おおよその被害者の人数がわかるのではないか。これは小学生でもわかる理論だと思う。なぜ、大の大人や大の政治家が、そういう簡単な理論をなおざりにして、喧々諤々、数字を言い合うのだろうか?ふと、疑問に思ってしまった。

<視点・その6>……“南京大虐殺”は、第2次世界大戦よりもずっと前に起きた話
恥ずかしながら、私、 “南京大虐殺”が行われたのは、パールハーバーよりも、ずっと以前のことだったということを、知らなかった。いや、正確に言うと、気付いていなかった。戦争がたくさんあった戦前・戦中の歴史を、わたし、ものすごく誤解していた気がする。点と点だけ歴史の授業で勉強し、受験用に年代を暗記していても、線でぜんぜんつなげていなかった。かなり、反省。
「太平洋戦争」とは、長い長~い日中戦争の最後の4年間に起きた、「終りの始まり」だったのだ!

学生のころ、近・現代日本史を学ぶ漫画もよく読んだけれど、結局、頭の中にはちゃんと残っていなかったということがわかった。漫画も含めて、アホな子どもにもわかる説明がなかったということか?あるいは、わたしがアホ過ぎて、ちっとも理解しなかった、ということか。とほほ。

ところで、わたしの頭の中では、真珠湾攻撃やら、神風特攻隊やら、戦艦大和やら、原爆などの物語は、切なく刻まれているのだけれど、日中戦争については「ああ、あれだよね!」と言える話がぜんぜん浮かばない。日中戦争の話が、婦女子どもの耳のしっかり届くほどは、語り継がれていない、ということではないかしらん? これって、わたしだけ?

ちなみに、中谷さんによると、パールハーバーが行われたときには、南京はすでに、繁栄を取り戻していたらしい。ふ~~~む。

<結論>
以上の視点1~6は、正しい見方であるかもしれないし、仮定に過ぎないかもしれない。事実は、70年も昔の、わたしの行ったことのない土地で起きたことなので、わたしは耳に入ってきた情報から、想像するしかない。中谷さんのご意見は、わたしの乏しい想像力に、豊かなイメージをたくさん提供してくれた。おもえば、こんなに具体的で自然で論理的なご意見など、これまで聞いた経験などなかった。

視点を変えて、いろいろ考えていくと、南京大虐殺があったかないか、という議論そのものが、無意味に思えてくる。囲い込んで相手を皆殺しにするという方法は、考えてみれば、戦争のみならず、遊びやゲームや狩猟や害虫駆除においても、常套手段だ。わたしたち誰もが、日常の中で考え付くことだ。そのうえ、ちょっと思いを過去の歴史に馳せると、古今東西、この方法で消滅した国や村や町が、一体どのくらいあることだろう。亡くなった人数も、議論をする以前に消滅した国や村や町の人口を調べれば一目瞭然だ。囲い込みとは、冷静に考えれば、非常に理論的な作戦であり、結果だと思う。私の住むトレド旧市街でも、カトリックとイスラムの戦争のときには、多くの血が流れたというが、そのとき、門は閉めきられていたに違いない。

いずれにしても、わたしは、まだ南京に行ったことがないので、いつか必ず、行ってみようと思う。そして、街の大きさがどのくらいなのか、どんな城壁なのか、見てこようと思う。行って見てはじめて、もっといろんなことが、わかるのだろうな。

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トレド旧市街では、いくつもあるこんな城門をふさがれたら、もう、袋のねずみだ。
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by hamster_paso | 2006-02-26 08:48 | 日本の問題 Japon

教会の前の鏡屋さん

教会の前に鏡屋さんがあったら、
きっと、こんな感じです・・・・・・

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教会(正しくは大聖堂)の前に、なぜ鏡屋さんがあるのだろうかと、考え込んだ日となりました。

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by hamster_paso | 2006-02-23 01:59 | foto スペイン Spain

壁画のある生活

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壁画のある家で暮らすとは、どういう感じがするのだろう。
霊気を感じるような、ちょっと恐いような。
でも、どこかブキッチョな絵に、古代の人の温かい息遣いを感じません?
どんな人が描いたんだろう。
宗教画の職人さん? 
それとも、信仰心が厚くて絵も好きなおばあちゃん?
あるいは、ちょっとお洒落心のあるステキな男の子?
それよりも、ソファに誰が座っていたのか、気になっちゃいますねぇ。
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by hamster_paso | 2006-02-20 18:13 | los patiosパティオの風景

回廊の椅子

この方の家の2階の回廊では、無造作に置かれた椅子さえも、おしゃべりを楽しんでいるようでした。

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椅子や赤い布の置いてある机は、拾ってきたものだそうです。赤い布は、モロッコ旅行のときに気に入って買ったのだけれど、臭くて家の中に敷けず、仕方なく廊下においているうちに、そこが布の居場所になってしまったそうな……。
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by hamster_paso | 2006-02-17 00:53 | los patiosパティオの風景

骨董タイルのある家

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こちらのお宅は、16世紀頃の古い家。
改修しなくても済むところには、ほとんど手を加えていません。当時の壁画もタイルも、そのまです。この写真は、パティオを見下ろす2階の回廊から、居間に入る階段。
この緑は、骨董アラブタイルの特徴です。もう、こんな色は出ないのだそうです。
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by hamster_paso | 2006-02-15 12:48 | los patiosパティオの風景

目が細い

わたしの目は、一重で、細すぎず、丸すぎず。でも、笑うと細くなります。
あ、笑うと細くなるのは、当然かな。
皆さんの目は、どんなですか?
一重で丸い人、二重で細い人、三重で大きい人、一重でも丸くて大きい人、タレ目つり目と、
いろいろな方がいることでしょう。

ところで、西洋でもアフリカでも南米でも、アジア人の目が細いことが、からかいや差別の対象になっていて、驚かされることがたくさんあります。
西洋人たちが、指で両目尻を吊り上げて、わざと目を細く作って「君たちはこうだ」ってからかってくることも度々あります。
また、こんなこともありました。ある日、一台の車の中から、助手席の若い子達が、わたし目がけて、大きな声で中国語もどきの叫び声をあげて、ケラケラ笑いながら通り過ぎたのです。
わたしは頭に来たので、それをスペインの友達に話したら、
「あはは。気にしないで。あんたの目がこうだからからかわれたのよ」
と、彼女もまた両目尻を吊り上げて見せてくれました。いやな気もしたけど、わたしたち二人の間でわたしが怒ったり文句言ったら、場が気まずくなるだけだろうし、彼女も悪く思っていないみたいだから、どうせ怒ったって無駄だろうとも思ったので、わたしは笑ってごまかしました。

あるときは、キューバの女の子と、小泉首相の話になったのだけれど、彼女曰く:
「あんなに細い目で、上も下も見えるのかしら?」
と、大きな目を上下させました。
「目が細いから世界が全部見えないかも」という彼女の余計な心配をわたしは、「そうか、痛烈なジョークになるなあ」と、膝を打ってほくそ笑み、次回チャンスがあったら使おう、と思ったのは確か。

だから、小泉首相が再選された先回の選挙について、「また小泉さんだね」と他のスペイン人に聞かれたとき、今こそあのジョークを使うチャンスだと意気込み、
「目が細いから、大丈夫かな?」(ちゃんと世界情勢が見えるのか心配だよ、この人は、という意味)と言ったら、その人は本当にバツの悪そうな顔をしてしまいました……。

おとといのトリノ・オリンピックの開会式は赤道ギニアの家族と一緒に見たのですが、韓国、日本、中国と出てきたとき、韓国選手たちが笑顔でみんな目が細くなっていたので、
「韓国、日本、中国の中では、韓国の目が一番細かったね」
ってちょっとおどけて言ったら、アフリカ人の彼女達がなんだか、申し訳なさそうな顔をして、一瞬どこに目をやっていいのかわからないという表情をしました。わたしたちが彼女から「わたしの肌、こんなに黒いの」と言われたときに、どう返していいのか、わからなくなるような、そんな感じ。だから、香港の選手が出てきたときに、
「アジアの南方の人達は、目が大きいんだよ」と言ったら、
「同じアジアでも、大分違いがあるんだねぇ」と言われ、
「同じアフリカでも顔が違うのと同じだね」という話になったりしました。

私自身は、肌の色や目の大きさなど、ぜんぜん気にならないので、こういう敏感な話題を直接しない限り、ほとんど考えることもないけれど、アジア人の目の細さが哀れみやら蔑みやら好奇の対象になっているということ知るのは、興味深い経験だと思いました。

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ニャメ曰く、「あたしの目は赤いの。文句ある!?」
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by hamster_paso | 2006-02-12 19:54 | 日本の問題 Japon

ジブラルタルとヒブラルタル

この秋実家に帰省中、一番気になっていたテレビCM。それはほかでもない、

「ジブラルタ生命」

「あら、ヒブラルタル になってない!」 が、真っ先の感想だった。そして次に思ったのが、
「あら、でも、ジブラルタル、じゃなくて、ジブラルタ ?」

これはまさしくスペイン効果だと思う。なぜなら、スペインに来て初めて、「ジブラルタル」だと信じていた言葉が「ヒブラルタル」と発音されていることを知り、「ヒブラルタル」がスペインの国土の一部だったということを目で確かめ、それでもって、イギリス潜水艦が「ヒブラルタル」の海岸沖に出没するたびに、スペインの政府も新聞も「ヒブラルタル」があるアンダルシア州の住民も悲憤慷慨。両国を緊張させる領土問題として今でもくすぶっているというニュースを見るからだ。

そういう情報をスペインで刷り込まれたこともあって、「ジブラルタ」という名前を見たとき、咄嗟に反スペインな会社だなあ、というか、イギリスの利権を主張するイギリスの会社なんだ、って思い込んだのだった。(でも、HPを見たらアメリカの生命保険会社だった)

日本在住のスペイン人も、きっと、驚いているに違いない。

もちろんこんなことを言うと、なんだよ、対岸のモロッコにも、セウタとメリージャっていうスペインの領土があるじゃないか!という声も聞こえてきそうだが。セウタとメリージャには、アフリカ中から移民が押し寄せ、警察と乱闘になったりしている。スペイン首相とモロッコ国王も、しょっちゅういろいろ話し合っている。それでもセウタとメリージャは、モロッコには返還しないだろうな。

トレドに住むイギリス好きのあるフランス人は、スペイン生活の息抜きに「ヒブラルタル」に行くという。このクリスマスにも行ってきたと、お土産に、絵葉書になっているジョンとヨーコの結婚証明書のコピーをくれた。「あっ同じだ!」と私がジブラルタ生命のCMを思い出したのは言うまでもない。CMの力って、すごいなぁ。


「ヒブラルタル」の写真はないので、対岸のモロッコ・タンジェの写真をどうぞ!

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by hamster_paso | 2006-02-02 21:59 | アフリカ Africa