マルディーニが語るシェヴァとジーニョ

フランスの衛星放送局カナルプリュスのスペイン版、『カナル・プルス』のメインは映画とサッカーだ。わけても、サッカー解説番組の充実振りには目を見張る。週末のリーガ開始直前の土曜日の昼は、直前情報満載の解説をたっぷり届けてもらえる『EDA(エル・ディア・アンテス)』。土日には、サッカー生中継を昼から真夜中まで放送し続ける『MAS Y MAS(マス・イ・マス)』。マス・イ・マスは、スペイン・リーガのみならず、セリアA、プレミアリーグ、ブンデス・リーガ、最近はフランスリーグまで網羅する。そして翌日の『EDD(エル・ディア・デスプエス)』で、週末起きたスペインリーガのあらゆる見せ場をおさらいするのだ。ベンチで何が起きたかはもとより、観客席やボールボーイの表情まで追う。いつだったか、反レアルのボールボーイがベッカムにボールを渡さず、ベッカムが少年を戒めるシーンは見ものだった。かつてアイルランドの代表で元オサスナのスタメン、マイケル・ロビンソンが司会を務めるこの番組を日本で放送したら、どんなにわたしの仕事が増えていいだろう、などと考えていたら、ある在西スポーツ通信社のNさんが、「あれは高すぎて・・・日本でやったら絶対受けるのにねぇ。ああもったいない」と今にも涙をこぼしそうな顔をした。現地でこれらの番組を現地で見られるもったいなき幸せに感謝しないと。

そんな幸せは、この週末もやってきた。特にうれしかったのは、マルディーニの長いインタビューだった。マルディーニは、先週、ACミラン在籍20周年を迎えたベテラン選手。父親も元イタリア代表の監督。‘走るルネッサンス彫刻’マルディーニは、知的で物静かな印象を受けた。

「シェフチェンコとロナウジーニョ」。マルディーニが即挙げた、好きな選手はこの二人だった。その理由から、マルディーニの大人度の高さがわかった。マルディーにはこう言った。

「この二人は、いつも笑っている。その上、文句を言わない」

いつも笑顔で文句を言わないということもまた、かなり高い大人度を必要とする。
ただへらへらするのとは違う。一緒にいてもがさついたり粗い気持ちにさせることなく、周囲を安らぎで包む器量だ。その上、マルディーニの挙げたこの二人は、黙々と自己の鍛錬に励み、誰にも真似できない美しい技術で、人を喜ばせることができる。怒るときは怒り、反撃できるときはいつでも反撃してきた私の反骨ハッタリ人生とは、全然違う。私が周囲に与えてきたものといったら、棘や肩こり・頭痛の類くらいだ。なんと器量の小さい人生を経てきたのかとうなだれたくなる。まあ、しょうがないなあ、とすぐ開き直ってしまいもするし。

いつも笑って文句を言わないということは、俗人が囚われている煩悩や苦しみをするりと通り抜けてしまったということだ。自分の苦しみを自分で引き受ける裁量もある。自分に降ってかかった苦しみがあっても、どうやって乗り越えるかに神経を集中させることで、乗り越えられるまでの過程を享受しているようにも見える。

シェフチェンコがゴールに向かって走る時、ロナウディーニョがフリーキックの前にボールを無心に見つめる瞬間、かれらは自分の目の前の最大の壁に直面している。ゴールが決まったときの満面の笑みは、壁を乗り越えた喜びで、失敗したときのはにかみは、修行の過程を味わっている表情。きっとそうだ。

こう考えると、文句を言ってばかりいる人は、自分の苦しみを人に押し付け人のせいにしているのだと思えてくる。自分に対して腹を立てていることに、気がついていないのかもしれない。ひいては、努力すればいいことも放棄しているのではないかとさえ見えてくる。

ところで、ここで重要なのは、マルディーニがさらりと、‘笑顔で文句を言わない人間を尊敬している’という発言をしたということだ。
見る人は見ているということだ。大人はきちんと見て、評価を下しているのだ。

なにも目だった振る舞いをせずとも、「見る人がきちんと見ている」。
つまり、人の本質は、他人によって簡単に見抜かれてしまうのだ。
勝負をかけようという人間にとって、これほど恐ろしいものはない。
たとえ勝つ技術があっても、さらに人間性が勝ち負けの本筋を決めるのだから。

笑って文句を言わないという達人の技術はわたしにはなかなか真似できないけれど、せめて、誰に見られても狼狽しないように、自分に嘘だけはつかないで行こうと思う。とはいえ、自分に嘘をつかない生き方はかなり難しい。自分に言い訳をせず、心の中で違和感のある部分を見つめるだけでも、かなり正直に近くなるのではと思っている。
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by hamster_paso | 2005-01-27 02:15 | サッカー Futbol