サンタ・マリア・ラ・ブランカという名の、こぢんまりした、とてもきれいな教会だ。


その昔、日本では、織田信長や豊臣秀吉がまだ子どもだった頃くらいから、カトリック教会が異端審問をはじめたそうだ。キリスト教に改宗しないアラブ人やユダヤ人たちに厳しい処置をほどこしたので、彼らは北アフリカやヨーロッパの東、東へと逃げたという。モロッコ北部には、この時期逃げた子孫がまだ数多く残っており、イスラム系もユダヤ系も、今でもスペイン語を話しているという。トルコの方まで逃げたスペイン出身のユダヤ人もおり、彼らもまだ、スペイン語を話す。これらのユダヤ人は、『セファルディ』と呼ばれている。フランス語の新聞には、ユダヤ人という意味の「ジュイフ」ではなく、「セファルディ」と書かれていたことがあり、ほぉ。と思ったことがある。
イギリスやプロテスタントの国では、カトリックの総本山バチカンに反対する意味で、異端審問は残虐だった、という誇張したプロパガンダが定着しているようだ。
コメディの『モンティ・パイソン』のコントを見ると、よくわかる。
おばかな人がいたら、目をくりぬいた赤いKKK風衣装をまとった何人かが画面にパッと出てきて、「スパニッシュ・インクィジショ~~~ン、ダダダダ~~~ンン♪」と、そのお馬鹿な人たちをハリツケにするのだ。
けれども、アンダルシア出身の、ユダヤ人である友人は、異端審問は精神的な運動であり、言われているほど残虐ではなかった、とも話してくれた。彼はユダヤの血をひいているけれども、異端審問の時期にカトリックに改宗した家族の子孫なのだ。
日本では、カトリックに対する異端審問があり、それは酷かったらしい、という話を彼も知っており、複雑な気持ちで受け止めているようだった。

『ユダヤ通り』には、ユダヤの祭具や本やCDを売るお店もあり、アンネ・フランクはやっぱり語り継がれている。しかし、もうユダヤ人のコミュニティも、礼拝も全く残っていないと、店主はちょっぴり寂しそうだった。
▲ by hamster_paso | 2005-03-29 19:22 | 超わかり易い国際政治política