日本に帰ってくると、日本のことを卑下するいわゆる自虐史観を真剣に振りかざす日本人によく会う。
しかし一方で、日本人はすばらしい、日本はすばらしいと自画自賛する人たちにも会う。
しかしさらにその反面、いいとも悪いとも言わず、淡々としている人たちにも会う。
テレビを見ると、たくさんの意見で溢れかえっている。
戦争に関しても、意見は多様。憲法9条に関しても、同様。朝青龍についても、いろいろな意見がメディアを駆け巡っていた。
言論の自由が保障された社会を民主主義社会と呼ぶなら、日本は立派な民主主義社会だと思う。民主主義が健全に機能している国の一つだと思う。どの国にも問題がたくさんあるのだから、「いや、日本の民主主義はまだまだだ」という人がいるとしたら、わたしは「もう十分すごいですよ」と言います。もちろん完璧な民主主義を目指したらまだまだかもしれないけれど、ほかの国と比べてみても、勝る国のほうが少ないのではないかな。
一昔に比べて、アホな番組がずいぶん増えたけれど、ほかの国にはない視点を提示するテレビ番組も結構あって、私の心がハッピームードになることもしばしばです。
昨日見た「100円玉に愛をこめて~世界の子供たちのために」には非常に満足。親も殺されたが自分も人を殺したというコロンビアの元少年兵から、「算数が大好き」という言葉を引き出した宇梶剛士はやさしかったな。「自分は何にも役に立たないし、彼らの生活も人生もどうせ変わりはしないだろうけれど、算数を好きだといった今日の気持ちを忘れないでほしい」っていうニュアンスのことばがさらりとこぼれて、それもよかった。
ほかの国のテレビだったら、「ゲリラに会ったら自分は殺される」と話すコロンビアの元少年兵のインタビューを、こんなに温かくかわいいところに着地させるだろうか。ハードなドキュメンタリーとして仕立て、見ている者を暗澹な気持にさせ、混乱の世界に突き落とすだけだろうな。
「コロンビアの元少年兵に数学の教科書をプレゼント」
こんな設定を、どこの国がするかなあ・・・・・・?
100円の価値のものを与える、という発想がいいか悪かは、私の心の中では半々なのだけれど、殺すか殺されるかしか知らない少年が、自分に差し出された数学の本を生まれて初めて受けた幸せのように抱きかかえた映像は、わたしの中のハッピーのツボにはまりました。
こんな番組がある一方で、細木数子の「幸せってなんだっけ?」では、先祖の墓を台無しにしている家系図が示され、「今のおまえの不幸は先祖供養をしていないからだ」と、出演者が説教される。不幸の漂う出演者の情けない姿に、つい自分が説教されている気になる視聴者もさぞ多いことだろう。私はいつもドキドキして吸い込まれるように見てしまいます。なににもまして、細木数子の宝石の大きさと抹香臭さが妙にマッチしていて、私はツボをくすぐられっぱなしです。つい先日も、NHKスペシャル「秘密尋問所トレイシー~日本人捕虜が語った機密情報~」か、梅宮アンナが出る「幸せって何だっけ?」かで迷い、Nスぺを捨ててアンナをとった私。このときはアンナについての新情報が思ったより少なかったので、結局後悔したけれど、それでも、うさんくさいとこれまで避けて通っていた細木数子を、いまや毎週待ってしまう私なのでした。